【86】大江正章さんのこと

昨年十二月、大江正章(ただあき)さんが肺がんで亡くなった。享年六十三。出版社コモンズの代表であり、アジア太平洋資料センター(PARC)の共同代表でもあった。

 

僕は一九九〇年ごろに大江さんに出会っている。しかし、学陽書房の編集者として大江さんが編集した本には、そのずっと前から馴染んでいた。僕のまわりでも、大江さんが編集した本に影響を受けた、という人は少なくない。

 

学陽書房時代の大江さんを代表する本といえば、一九八四年に出た『いのちと農の論理-都市化と産業化を超えて』(玉野井芳郎・坂本慶一・中村尚司編)だろう。この本は、まだ若かった大江さん自身が研究会を組織した上で編集した本だ。中心となったのは、大江さんが生涯の師とした玉野井芳郎と中村尚司。その中村尚司さんが当時あちこちに書いていた文章を大江さんが見事に編集した『豊かなアジア 貧しい日本』(一九八九年)も、大江さんの「代表作」だ。

 

大江さんはよく「編集者はコーディネーター」と言っていたが、その通りだった。それは出版そのものが運動でもある姿を僕らに見せてくれていた。

 

僕自身が大江さん編集の本に執筆者としてかかわったのは、数えてみると、七冊。中でも『ヤシの実のアジア学』(鶴見良行・宮内泰介編著、一九九六年)は、僕にとっても大江さんにとっても意義深い本だ。

 

当時大江さんは、学陽書房をやめようとしていた。大江さんを買っていた社長が亡くなり、社内では、大江さんが作りたい本が作りにくくなっていた。

 

僕は、鶴見良行さんがエビ研究会のあと立ち上げたヤシ研究会に参加していたが、その共同研究のまとめの本を作ろうとしていた矢先の一九九四年、鶴見さんが逝ってしまった。

 

大江さんは「環境・アジア・農・食・自治」をかかげた新しい出版社コモンズを設立し、その立ち上げの本として、ヤシ研究会の本を選んでくれた。そして、一緒に本を作った。

 

すでに出版不況が始まっていたときに新しい出版社を立ち上げて大丈夫だろうか、と周りは心配したものだ。しかし、コモンズの本は、生活クラブの共同購入の対象になることも多く、出版社として順調に続いた。(札幌でコモンズの営業を担っていたのが、故・越田清和さん)

 

と思っていたら、大江さんは、今度は書き手となって活躍することになる。岩波ジュニア新書から『農業という仕事』、岩波新書から『地域の力』、『地域に希望あり』、と次々に出す。いずれも、日本各地を回った、ジャーナリスト大江正章としての仕事で、地域再生に関心のある人々の間で広く読まれる本になった。

 

アジア太平洋資料センター(PARC)にも深くコミットし、二〇一一年からは代表理事でもあった。

 

編集者、出版社経営者、ジャーナリスト、活動家、そして自ら田んぼを耕す人でもあった。

 

大江さんがコモンズから最後に出した本の一冊が、故・東龍夫さんの『ザ・ソウル・オブくず屋』。そして、本当の最後に出したのが、大江さん自身の本『有機農業のチカラ』だった。

 

(さっぽろ自由学校「遊」 ゆうひろば 2021年4月号)