【85】ライフストーリーの力

オーストリアの作家ローベルト・ゼーターラーの『ある一生』は、一九世紀末に生まれた主人公、アンドレアス・エッガーの一生を描いた物語。エッガーは、子どものころ養父からの体罰で片足を引きずるようになり、その後戦争、抑留、結婚と死別などを経験し、生涯の多くの時間を孤独の中で過ごす。とくにドラマチックなストーリー展開があるわけでもないこの小説は、しかし、深く心に染みる。「雪解けが始まるころ、(中略)岩の上に寝転んで、背中に石の冷たさを、顔にはその年最初のあたたかな陽光を感じるとき、エッガーは、自分の人生はだいたいにおいて決して悪くなかったと感じるのだった」。

 

中国の作家、余華の小説『活きる』(原題は「活着」)も、ほぼ同じ時代の、こちらは中国を生きた、一人の男性の人生を描いている。主人公、福貴は、恵まれた家に生まれたのに、自らのせいで没落、一時国民党の軍隊に連れさられてこきつかわれる。解放後は農民として働くが、生活は厳しく、家族を一人ひとり順番に亡くしていく。最後一人になった福貴は、老いた牛とともに畑仕事を続ける。「おれは自分の命は長くないと思っていたが、意外にも今日まで生き延びてきた。(中略)考えてみれば、あっという間の人生、そして平凡な人生だった。(中略)落ちぶれる一方だった。だが、それでよかったのだ」。

 

僕は、たまたま、この二つの小説を続けて読んだ。そして、つづけて静かな感動を覚えることになった。『ある一生』(二〇一四年)も『活きる』(一九九三年)も、発表後大きな反響を呼び、どちらも数十カ国で翻訳された(「活きる」はのちにチャン・イーモウ監督によって映画化)。みんながこれらの物語を欲していたというのは、とてもよくわかる。

 

先日僕ら(藤林泰さん、金城達也さんと僕)は、イワシ漁を追いかける中で出会った三人の聞き書きを冊子『聞き書き いりこづくりの海辺から』に編んだ。何度も重ねて聞いた話を「物語」として編集したものだ。

 

編んだものをもう一度読むと、これもやはり人生の物語だ。

 

ハマチの養殖に失敗したあとイワシの煮干し(いりこ)加工業を始めた長崎県佐世保市神崎(ふりがな/こうざき)の日数谷初夫さん--

 

「夜逃げも考えた苦しい時期に、いりこづくりへの取り組みをはじめ、本格的ないりこづくりが軌道に乗るまでの十数年間は働きづめでした。こどもたちにも苦労をかけました。いりこづくりを本格的にはじめてから三十一年になります。苦労はしましたが、信仰と家族が支えでした」。(神崎はカトリックの地区)

 

父親が始めたイワシまき網漁を引き継いで、今それを息子に継承させた長崎県雲仙市南串山の竹下康徳さん--

 

「私は、どうすれば魚が獲れるかということの一段上に、どうすれば生き残れるかということを置いてきました。親が残した仕事がいちばんよい、というような状況を作り上げておかなければと考えました」

 

私たちは、人生の物語を互いに交感させながら生きている。そこにこそ私たちの生の喜びがある。

 

 

『聞き書き いりこづくりの海辺から』は、北海道大学学術成果コレクション(HUSCAP)で読めます。

http://hdl.handle.net/2115/79807

 

(さっぽろ自由学校「遊」 ゆうひろば 2020年12月号)