【83】近隣を歩く

四月から自宅勤務になり、授業も自宅からオンラインですることになった。家で仕事するのも、自宅からオンラインで授業するのも、やってみると悪くない。

 

しかし家にいると歩かなくなってしまうので、朝五千歩、夕方五千歩、合計一万歩のウォーキングをすることにした。

 

僕の家は札幌市の中央区と西区のちょうど境界にある。毎日少しずつルートを変えながら、このあたりを歩きつくすことになった。

 

歩いているといろいろなことに気がつく。たとえばところどころに大きな敷地の家があって、敷地内で畑をやっていたりもする。これは昔からの住民に違いない。そんな家がわずかだが残っている。

 

戦後すぐの航空写真を見ると、このあたりは一面畑だったことがわかる。住宅はぽつりぽつりとあるのみ。それが一九六五年の航空写真になると少しだけ住宅が増えはじめ、一九七六年の航空写真だと、もうびっしり住宅地になっている。畑は、札幌オリンピック前後に忽然と消えたのだ。(国が撮った昔の航空写真は、国土地理院のサイトにあります。同じものがスマホのアプリ「昔の航空写真地図」などでも見られます)

 

そのころ建てられたとおぼしき家やアパートもちらほら残っている一方、昭和の終わりごろに建てられたかなと思われる家、そしてごく最近建てられた家、と実に混在している。マンションも確実に増えている。歴史が何層にも何層にも重なっている。

 

歩くといろいろなことが気になってくる。数は多くはないが、ところどころに空き家とおぼしき家がある。主がいなくなって、子どもたちが処分に困っているのかなあなどと勝手な想像をしてみたり。

 

歩くと少し調べたくもなってくる。

 

家の近くを流れる琴似川は、やはり戦後まもなくの航空写真と比べながら歩いてみると、場所によっては昔と変わっていない一方、場所によっては大きく流れが変わっている。面白いことに、うちの近くのいくらか直角に曲がっている不自然な流れの部分は、近年の改修工事かなと思っていたら、戦後すぐの時点ですでにそのような流路だったことが航空写真からわかった。

 

ある日は、ひょんな思いつきで、表札を調べてみようと考えた。最近増えているローマ字表記の表札。しかし、どのくらいの家がローマ字の表札を掲げているのか。スマホのカウンター・アプリを使って歩きながら二百軒ほどの記録をつけてみた。まあ、遊び半分だ。結果は、ローマ字表記のみの表札が一二%、漢字の姓とローマ字の姓を併記している表札が二〇%だった。

 

結果はそんなに重要ではない。歩いて、マチが少し、いとおしくなる。それが僕にとっては大事だった。