【75】アバディーン

アバディーン、という町にこの四月から住んでいる。アバディーンがどこにあるかというと、イギリスの最北に近いあたり、つまりはスコットランドの北部。グラスゴー、エディンバラに次ぐスコットランド第三の都市だ。人口は二十三万人。

 

大学のサバティカル制度を利用し、ここに半年住むことになった。

 

もとより、アバディーンという町に強い関心があってきたわけではない。しかし、住んでいるのだから、自ずと興味がわく。この町はどこから出てきて、どういう歴史をたどり、どこへ向かうのだろうか。

 

アバディーンの町を歩いてすぐ気がつくのが、町並みが淡い灰色だということだ。よく見ると、淡い灰色の石がそのまま家の壁にはめ込まれていることが多く、それが町の基調になっている。

 

アバディーンは、一九世紀、花崗岩採掘で栄えた。花崗岩はヨーロッパ各地に輸出され、さらにはその熟練労働者たちも採掘のために北米などにリクルートされて行ったという。しかし、二十世紀半ばまでに花崗岩採掘は衰え、かわってこの町の経済を支えたのがタラのトロール漁だった。二十世紀に入るころに動力化されたトロール漁が出現し、一躍大きな生産量を誇り、さらにそれを加工して(主には干魚)輸出する産業がここに生まれた。漁業の町としてのアバディーンはしばらく続いたが、一九七〇年代に北海油田の開発が始まると、その基地として活況を呈するようになる。現在も北海油田景気に支えられ、イギリスの中でも経済的に豊かな町として知られる。

 

アバディーンの町は、町の北にあるドン川と町の南にあるディー川にはさまれている。もともと、つまりは中世には、ドン川河口の町が先にあって、そのあとディー川河口の町が生まれ、のち両者がつながって、さらに区域を広げていった。

 

ドン川河口の町は、教会や大学の町として発達した。現在も「オールド・アバディーン」と呼ばれ、中世の雰囲気が残った美しい町並みを見ることができる。ドン川河口は、市の自然保護地域にも指定されている。

 

対照的に、ディー川河口の方の町は、もともと商業の町として発展し、大きな産業港を形成している。現在はこちら側が町の中心だ。

 

河口の港に大きな輸送船が並ぶディー川は、しかし、少し上流に行くと、自然河川の様相を示してくれる。僕がお世話になっているロバート・ゴードン大学がこのディー川河畔に位置しているため、毎日この川を眺めている。緑豊かな河畔に恵まれた美しい川だ。

 

借りているアパートメントから大学まで、バスで通っているが、毎日大学より少し手前のバス停で降りて、この川沿いを歩いて大学に行くようにしている。河畔林の中を歩道が作られているため、僕のような人だけでなく、犬の散歩の人たち、あるいはランニングの人なんかもときどきいる。ある日は、河畔林の陰から鹿が突然現れてびっくりした(あとで調べると、スコットランドにはノロジカとアカシカがいて、僕が出遭ったのはノロジカのようだ。鹿害もあるようだが、それはおもにアカシカの方)。

 

また、ある日は、川の中でサケ釣りをしている男性たちに出遭った。見た感じは、日本の鮎釣りの風景そっくりだ。川の中に入って、長い竿でラインを投げる。

 

気持ちよく川を歩きながら、僕の頭にはいろいろ疑問が浮かんできた。この川は誰が管理しているのか? 誰がかかわっているのか? サケ釣りは許可が要るのか?

 

漁業権は存在するのか?

 

少し調べてみよう、と思った。スコットランドを知る入り口としてもよいかもしれない。

 

ところで、イギリスに二ヶ月ほど住んでみて、住みやすいと思ったことの一つは、わかりにくさが少ないということだ。「なんでこうなっているの?」とか「もっと説明してよ」ということが少なく、たいていどこかに説明があるし、その説明も大方納得ができるものだ。

 

ディー川について調べたときにもそれが言えた。ディー川についてかかわっている諸機関の報告書などがネット上に存在し、それらを集めて読むと、だいたいのことはわかってきた。それでもわからないこともたくさんあったので、ディー川管理の中核にいると思われる「ディー川トラスト」という非営利組織を訪ねることにした。メールでインタビューを申し込み、ディー川のずっと上流にあるその事務所を訪ねた。ディー川トラストは、法定組織であるディー川地区サケ漁業委員会とほぼ一体となって、河川管理(主に漁業資源管理)を行っている組織だ。スコットランドの各川にそうした非営利組織があり、サケの資源保護だけでなく、河川の生物多様性の保全などに取り組んでいる。

 

スコットランドの(イギリスの)川の権利は、その川岸の土地所有者がもっている、という。それが少し僕には驚きだった。最上流に当たるエリアは女王を含む大土地所有者たちが権利を持ち、中流以下は比較的小規模な所有者たちが、こま切れに権利を持っている。もともとは彼ら自身がその川で釣りをしたりピクニックをしていたりしていたし、また、商業的なサケ漁も行っていた。しかし、現在は、釣り人たちを呼び込み、入漁料をとって、釣りをさせている。外国からも結構来る。ある報告書によると、このサケ釣り観光業は、ディー川全体で、一五〇〇万ポンド(約二二億円)、五〇〇人の雇用を生み出しているという。

 

お金を払ってサケ釣りを行う人たちと、他の川レジャーの人たちとの衝突などないのだろうか、というのも、疑問に思ったことだ。ディー川トラストから聞いた話と報告書などを総合すると、とくに問題になるのがカヌーイストたとちの衝突だが、もともと数として多いわけではなかった。さらに二〇〇三年に制定されたスコットランド土地改良法(スコットランド全土の土地について、人びとによる「アクセス権」を認めるもの)とそれにもとづくスコットランド・アウトドア・アクセス規則の策定で、お互いを尊重しながら河川を利用しあうというルールが確立した、ということのようだ。

 

なかなかいい河川管理のあり方のように思える。もちろんそれは、川の権利を土地所有者をもつという歴史的な経緯を踏まえてのことだ(だから、違う歴史的経緯をもつ日本でこのやり方が適用できるわけではない)。

 

――と、こんなふうに、歩いたり、調べたりしながら、話を聞いたりしながら、少しずつその土地のことが立体的に見えてくる。